よほほんの趣味日記
                                        よほほんの趣味に生きる毎日を綴ります。
一周忌
 
今回の記事はただ自分が思っている事を吐き出したいというだけの記事です。ひたすらに自分が話したい事だけを書いているので、追記の方に記すかたちとしました。内容に関してはタイトルで察して下さい。

 
父が亡くなって1年が経ちました。

覚えている方もいるかもしれませんが、昨年の2月12日より身内に不幸があったという事で1週間程 更新を停止しておりました。それはこういう事だった訳です。


10日の夜、翌日が建国記念の日で休みという事もあり、ぐうたら過ごしていた自分は気付けば寝落ちしていました。目を覚ましたのは日付が変わって11日の深夜、1時前だったか1時になっていたか・・・それぐらいだったと思います、妹からの着信で起こされました。なお後から知ったのですが、日付が変わる前の時点でLINEで連絡はあった様です。当時はまだ携帯はガラホで、LINEはタブレットの方でやっていたので通知に気付きませんでした。普段 電話なんて掛けてこない妹から、しかもこんな時間に着信・・・何だろう?と出てみると、「落ち着いて聞いて欲しいんだけどね。」「トーチャンがね・・・亡くなったの・・・」と。思わず「え゛っっっ!!?」と声を上げてしまいました。そりゃ突然そんな事 言われたら驚きますよ。”頭が真っ白になる”とはまさにこの事を言うのだな、という感じでした。妹は多くは語らず、「今 警察署にいるから警察の方に代わるね」と言い、知らぬ男の人の声に切り替わりました。突然の事に思考が追い付かずフリーズしていた自分でしたが、>「(あぁ・・・これは本当の事なのだな・・・)」と徐々に現実に戻される感覚でしたね。”父が死んだ”という非現実的な知らせと”警察の人からの話”というリアリティのある事実を同時に突き付けられる・・・そんな感じ。もしこれが嘘(冗談)だったら非常に悪質ですが、それでも嘘であったらどんなに良かったか・・・。警察の方は状況等を細かく話してくれましたが、ほとんど放心状態だったのでどういった話だったかあまり覚えていません。最後に母に代わって貰いました。カーチャンはパニくってとても話せる状態じゃないのでは?と思いきや、意外と冷静で普通に話しは可能でしたね。とりあえず今はもう夜遅いので、昼ぐらいに実家に帰ると話して通話は終了しました。
寝落ちして風呂に入っていなかった事もあり、気持ちを落ち着かせる為にひとまずシャワーを浴びました。浴びている途中、寒くもないのに体がガクガクと震え出し止まらなかったのを今でも覚えています。人間ってメンタルがやられると体にも反応が出るんですね・・・。その後はすぐに就寝しましたが、さっきまで寝ていましたし様々な思いが頭を巡るしでとてもじゃないですが寝付けませんでした。

そして寝不足気味の状態で実家へ帰省。普段 実家へは全く帰る事が無かったのもあり、久々となる帰省がこんなかたちになってしまうとは・・・。駐車場には車が停まったままで、部屋なんかも見慣れた普通の状態。ただ出掛けているだけで、「ただいまー」と今にでも帰って来るんじゃないか、と思いたくなるぐらい いつもの日常風景がそこにはありました。それも相まって、一晩が経っても”トーチャンの死”という事実を実感 出来ずにいました。というか受け入れたくなかったんでしょうね。無意識にシャットアウトしていた気がします。カーチャンは落ち込んだ様子も無くいつもと変わらずな様子だったので拍子抜けしました。まぁ自分と同じく突然の事に理解が追い付いてないのか、逆に冷静になってしまったのか・・・。まぁ普通に会話が出来たのは良かったです。そうじゃないとこっちも辛いので。妹も暗くなってましたが比較的 元気で冷静でした。流石は親子。一緒に住んでるだけあって2人はトーチャンが亡くなる直前まで一緒に過ごしていたので、その時の状況を聞いたりして、あとは今後の事(葬儀とか)を話したりしました。その後 警察より電話があり、トーチャンの亡骸が警察署から葬儀場(安置所だったかも)へ移動される事になったので、カーチャンは立ち合いで行く事に。トーチャンに面会しに行くかと言われましたが、自分は断りました。会うのが怖かったからです。上でも書いた様に、この現実を受け入れる勇気がありませんでした。会ってしまったら、もうそれが現実であると嫌でも知ってしまう。でも会わなければ、目を背ければ、その事を受け入れずに済む。ただの現実逃避でしたが、自分にはそうやってメンタルを保つ事が精一杯でした。その日はそのまま帰宅しました。

実父の場合、忌引き休暇の日数は7日間なので仕事の方は1週間お休みを頂きました。葬式は15日に行われました。12~14日の3日間はどう過ごしていたかあまり覚えていません。一切 出掛けずに家に引き籠ってた気がします。何をするにも手付かずで、ダラダラと過ごし時間だけが過ぎて行く・・・そんな感じでした。まぁ普段からそういう時も結構ありますが・・・。

そして葬式の日である15日。早朝より葬儀場に現地集合でした。そしてこの時、初めてトーチャンと対面しました。死化粧が施されている事もありとても安らかな顔をしており、本当に眠っているだけの様に見えました。上でも書いた様に現実を受け入れ難い気持ちはありましたが、もう告別式の当日でしたし、嫌でもその情況を受け入れざるを得ないというか・・・そんな感じでしたね。葬式は家族葬で行われたので、両親の親族のみが参列しました。葬儀、告別式と済んだら火葬の為に火葬場へ移動。
火葬場でトーチャンと最後の別れを済ませ、亡骸を火葬。待ち時間中に参列者全員で昼食を取りました。喪主はカーチャンが務めましたが、自分は長男という事で献杯の挨拶は自分が行いました。火葬後、遺骨の確認は代表者として家族であるカーチャン、自分、妹の3人が呼ばれました。頭では分かっていても、やはりトーチャンの体がトーチャンでなくなり、骨と化しているのはショッキングな光景でした・・・。その後は職員の方々が準備をして下さり、参列者全員で骨上げ。遺骨を骨壺に収めたら終了で、現地にて解散となりました。遺骨を持ち帰る為 自分も一緒に実家へ行き、後飾り祭壇の組み立てを手伝ったりしましたね。なおこの時にはもう実家のトーチャンの部屋や荷物はほとんど片付けられており、寂しい気持ちになりました・・・。何でもすぐ片付けたり捨てたりする性格のカーチャンでしたが、まさかもう整理していたとは・・・驚かされました。個人的にはもう少しそっとしておいて欲しかったのですが・・・離れて住んでいる自分と違い、カーチャンも妹もトーチャンの部屋がそのままになっている方が気になって辛かったらしいのです。またこの時点で既に引っ越しの話もあった様です(後述)

葬式が15日でしたが、翌日の16日にはラブライバー友達のT君と一緒に秋葉原へ出向き、ラブライブ!のセガコラボミュージアムセガコラボカフェに行ってたりします。カフェの予定自体は前から決まっていましたので、流石に葬式と重なっていたらキャンセルしてましたが、翌日でしたので行く事に。T君との約束があったというのもありますが、一番はやはり気持ちを切り替えたかったからですね。しかしそう簡単には割り切れないもので、T君には「今日、全然 元気無いね」と言われちゃいました・・・。当初は変に気を遣われても嫌だったので話さないつもりでしたが、結局 全て話す事に。なのでT君は職場の人を除く知人の中では数少ない、父が亡くなった事を知る人物だったりします。

死後の手続きも、届け出を出したり遺産相続だったりと色々大変でしたが、その辺りは割愛。まぁほとんどカーチャンがやってくれたのでね。

仕事は19日から復帰しました。ブログの更新も20日より再開しています。なお仕事は復帰早々、夜間作業でして(まぁ急遽休んでしまっただけで前々から決まってた訳ですが)22時~翌朝5時まで作業、というのが2月末まで続きました。しんどかったですが、没頭(?)出来る事があった方が良かったのかなー、と今になっては思ったり。

3月29日には四十九日が行われました。父方の実家がある埼玉の川越某所の霊園にて行われましたが、この時は都心でも3月末だというのに雪が降っており、千葉は少し積もる程度でしたが埼玉はかなり降っていました。骨壺をお墓に収め、トーチャンは自身の父(自分の父方の祖父。こちらも当ブログで触れる事はありませんでしたが、自分が高3の夏に亡くなりました)と共に眠りにつきました。


当ブログで一切 報告しなかったのは、あくまでこれは「よほほんの趣味日記」を書いている”よほほん”ではなく、リアルの”私”の話だと思ったからです。ブログで「父が亡くなりました」なんて報告しても訪問者の方からしたら「ご愁傷様です」としか言えないでしょうし、それはこっちサイドの話であって訪問者の方々には全く関係無いじゃないですか。普段から日記に身に起こった事を書き記している自分でも、これはブログ上に持ち込む話ではないな、と判断し、伏せていた・・・というよりは話そうとしなかった訳です。今年だって本当は喪中になりますが、あけおめ記事 書いてますしね。まぁ略していて”おめでとう”とは言っていないのでセーフでしょう^^;
しかし隠す様な事でもありません。勿論、わざわざ大っぴらにする事でもないですが。ただいずれは、カーチャンや妹はよく登場するけどトーチャンは全く出てこないね、なんて話にもなってきます。また先週の土曜日には一周忌の法事も行われました。1年という期間を経て自分のこの考え方にも変化が生まれまして、一周忌を機に気持ちを整理する、入れ替える為にもこうして記事を書いております。

親孝行したいときには親はなし
・・・ってのは本当にその通りだな、と身を以て実感しましたね。やっぱり人っていうのは、重要な事程 普段は気付かず、失ったり自分がそうなってみて初めて気付くものなんですよ。
既に家を出ているので仕方ないですが、正月に両親の実家へ帰省した際に会ったのが、最後にトーチャンと過ごした時間となってしまいました。その時は普段はしないのに何故か親戚一同で集合写真を撮ったりしたのですが、その写真に映っているトーチャンを見ると今も切なくなってしまいます。また突然の事だったとはいえ、死に目に会えなかったのも残念です。もしあの時、自分が仕事帰りに実家に寄ったりしていれば(普段、まず実家に帰る事は無かったので有り得なかったでしょうが・・・)運命を変えられたんじゃないか、と後悔もしました。タイムマシンがあったら、時間が巻き戻せたら・・・そんな事を何度も考えました。でももう今更、どうしようもないんです。受け入れたくはありませんが、これが現実であり、変わる事の無い事実なんです。
トーチャンとは2人だけで車で新潟の方まで旅行に行こう、なんて話もしてましたし、妹がSwitchを買ったので自分がサプライズでマリカーのソフトを買って対戦しようとも企んでましたし、2人で映画も観に行きたかったし、お酒だってもっと一緒に飲みたかったし・・・。話したい事、やりたい事は沢山あったんですよ。でももう今は、どれも叶わない夢です。上でも書きましたが、悔やんだってもうどうしようもないんです。

2人だけで住むには広過ぎるとの事で、四十九日が過ぎてからカーチャンと妹は違う家へ引っ越しました。以前にもお話ししましたが、これが実家が変わった理由です。そして自分がNEW実家へ帰省する事を拒んでいた理由について、コロナ禍でステイホームで騒がれていたから&「俺が帰る家は以前のあの家であって、今の家は知らない家で帰る場所ではない」という想いがあった・・・と話しましたが、追加で言うと「今の家は知らない家だしトーチャンも居ない」というのも大きかったです。自分としては、トーチャン(の霊)が帰って来れる様に以前の家にずっと住んでいて欲しかったのですが、カーチャンと妹はトーチャンが亡くなったあの家にはもう住みたくない、という想いだったらしく、前述した様に四十九日が過ぎたらササっと引っ越してしまいました・・・。そのあっさりした切り替えに自分は納得しておらず、反発し誘われてもNEW実家へは断固として行かず、去年の大晦日にようやく初めて行く事となったのです。

形見にはトーチャンが予備で使用していた眼鏡(普段着用していた物は仏壇に供えてあります)と仕事で使用していたデジカメを譲り受けました。そちらは自宅に保管してあります。車もカーチャンは運転しないので、いる?と訊かれましたが断りました。自分だってプライベートでは別に運転しようと思わないし、必要になったら自分で買うだろうと思ってたので・・・こんなかたちで貰っても・・・ねぇ?そんな訳で車は売ってしまったみたいです。大した金額にならなかったみたいですが。

正直 言うとですね、この”トーチャンの死”については1年が経った今も実感が湧かないというか、受け入れたつもりになってるだけで心の奥底では受け入れ切れていないというのが本音だったりします。やっぱり突然の事で、非現実的過ぎて理解が追い付かないんですよ。だって当時の自分、22歳ですよ?そんな早くに片親になるなんて思いもしなかったですよ。トーチャンだってまだ50歳だったし、祖母よりも先に逝ってる訳ですから。1年経って慣れた気がしても、結局はトーチャンが亡くなった現在は非日常のままなんですよ。まぁ去年はコロナ禍によって当たり前だった生活が一変してしまい、そちらでも非日常となってしまったので若干 薄れてしまった感は否めませんが。あと実感が湧かない理由の一つに、一人暮らしでしばらく離れて暮らしていたから、というのもあると思います。1年の内でトーチャンと会う機会って正月とGWとお盆、あとはたまに家族で飯に行く時ぐらいでしたから。なので、自分からしたら今でもトーチャンからメールが届いたり、自宅の目の前の711に車で迎えに来るんじゃないか、と考えたりするんですよ。カーチャンと妹からしたら一緒に暮らしていた人がある時を境に居なくなったという事になりますが、自分はそうではないので。これが実感が湧き辛い理由なのかなぁ、と。未だに夢にも出て来たりしますしね、それもそこそこの頻度で。まぁそれはあの世に行きつつも自分の事を見守ってくれているというサインなんだと自分は思ってますがね。


自分が話したい事だけを延々と書いた結果、結構な文章量になっちゃいました。でもトビラでも書いた様に、自分が思っている事を吐き出したいというだけの要は自己満足の記事ですので、そこに問題は無いです。
また、今回の経験を踏まえて「親孝行したいときには親はなし」だから皆さんも今すぐにでも両親を大切にしましょうね☆・・・なんておこがましい事を言うつもりはありません。父が亡くなってしまったんですよー、って悲劇のヒロイン(男だけど)を気取るつもりもありません、もう1年経ってるしね。
ただ人は絶対にいつかは死にます。
私だってそうです。そして、何気なく毎日を生きてますが、案外いきなりその時ってやって来たりするみたいです。それが”運命”とやらなのなら、もう防ぎ様は無いでしょうし、受け入れざるを得ません。また、人は後悔をする生き物なので悔いの無い毎日を過ごすというのも不可能な話です。普段から「今日が人生最後の日だと思って精一杯 生きろ」なんて言うのも無茶な話です。きっと疲れてしまうでしょう。ただ当たり前だと思っている事・・・生きている事でも、趣味を楽しめている事でも、美味しいご飯を食べれる事でも、何でも良いです、それを大切だな、喜ばしいな、とたまにで良いので考える事が大切だと実感しました。あくまで自分がそう感じただけなので、周囲に強要するつもりはありません。しかし少しぐらいはそういった事を考えてみるのも良いんじゃないかなぁ、と。

長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。

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